ジョークとジョーク

ことばのリハビリですよ。

ハイファイ・ローファイ

とっっっても久々に曲を作りました。今組んでるバンドで演奏するために書いた曲というわけではなくて、もう完全な自己満足のために。ここ数日家に引きこもっていわゆる宅録でちまちまと作ってました。


自分からバンドを組んでた2~3年前は積極的に曲も書いてたから「趣味?たまーに曲を作ったりするよ?(笑)」くらいの作曲のスタンスだったんだけど、思えばここ最近作曲と言える作曲をしてないなぁ気づいた。ふと浮かんだ曲ともいえないフレーズをぼんやり宙に浮かばせて形にしないまま。形にしたいなぁと思いつつも今組んでるバンドと僕の作りたい曲のカラーは違うからそこで発表するのも難しい、かと言って自分の曲をやるために新しくバンドを結成して動かし続けるバイタリティがあるかと言われたら厳しい……としばらくもやもやしてたんだけど、ふとScudelia ElectroのPop Lifeという曲を聴いていたらこんな歌詞が耳に飛び込んできた。

僕の事は僕にしか歌えない

今まで"自分が歌う"ってことを念頭に置かず人に歌わせることばかり考えてたけど、下手に発表の機会を待ち続けて曲を穏やかに殺してしまうよりも自分なりに作って歌ってみるべきだよな。うん。と勝手に曲から啓示を受け取って制作に臨んだわけです。ありがとう石田ショーキチ


世間ではやれDTMDAWソフトだボーカロイドだと騒いでいますが、オレは男らしくMTR(マルチトラックレコーダー)で生演奏→録音の繰り返しだぜ!MIDI入力なんてのは軟弱なヤローがやるもんだぜ!
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ごめんなさい、お金がなくて環境が整えられないだけです。怒らないでください。演奏が上手いわけではないのでまともなテイクが録れるまでめちゃくちゃ時間がかかって泣きそうでした。このMTRは高校生の頃に中古で買って使い続けてるからジョグダイヤルがもうバカになってて、慎重に回さないと勝手に数値が極端に飛んだりするからそこでも時間がかかるし最悪。誰かDTMの環境ください。


なんとか楽器も全部録音して、リズムマシンにリズムを打ち込んで、歌も録って完成までこぎつけたのですが、マスタリングという全体の体裁を整える面倒な作業が残ってて、録音でヘトヘトになった僕はそんな繊細な作業をやる根気が残ってません。そこでLANDRというサービスを使うことに。
www.landr.com
音源をここにアップロードしたら自動的にマスタリングをしてくれるというサービスです。そういうマスタリング方面の知識が疎い自分にとってはこの上なくありがたい。というかすごすぎないすか?2010年代って感じがしますね。


話は前後して歌詞の話。やっぱり歌詞が上手く書けない。曲を作る上でメロディーとコードができた時点でいつも満足してしまうから、歌詞を書くことに対してどうしてもおまけみたいな気持ちになってしまう。普段音楽を聴くときは歌詞は大切にして聴いてるのに。僕は人に伝えたいことがないのかもしれないし、もしくは自分の気持ちを露呈させるのにまだ抵抗があるのかもしれない。もうすぐ生まれて四半世紀になるのにね。人とのコミュニケーションをおざなりにしてきたツケが回ってきてるのをぼんやりと感じた。今回もなんとなく歌詞っぽく言葉を並べたとても硬い字面になってしまったのでもっと頑張りたい。


そうやってできた曲がこちらです。

まだ夏も始まってないのに夏の終わりの曲になってしまいました。歌がかなりアレでめちゃくちゃ恥ずかしいですけど聴いてもらえたらとても嬉しいです。

My contribution to urban blues

小沢健二のライブを見てきた。家に帰ってそのまま寝落ちして夜が明けぬうちに起きてしまったので、いろいろと書いておこうかなと思います。


小沢健二は僕のフェイバリットミュージシャンを並べるときに真っ先に名前が挙がる人物のうちの一人だ。彼がフリッパーズ・ギターで活動していたころは僕は生まれてないし、ソロでの全盛期のころはまだ幼い子供のころだったから完全に後追いでのファンなのだけれども。音楽に興味を持ち始めた中学生のころ、「なんか今夜はブギー・バックっていう超有名曲があるらしいぞ」ということで2ndアルバム・LIFEを借りたのが小沢健二との出会いだった。最初は甘い歌声で華やかな曲を歌うポップスターとしての彼に夢中になった。それからソロの作品をあさり出した後にフリッパーズ・ギターにたどりついて、その頃のシニカルな歌詞に心を奪われた。「意味なんてない」「わかりあうなんてできない」なんて虚無的な言葉が思春期のひねくれたコドモの自分にジャストフィットすぎたわけです。


そんなわけで無駄に冷笑主義に浸りきって過ごしていたのだけれど、人生がにっちもさっちもいかず身動きが取れなくなってしまって生きることをあきらめそうになる時期があった。そんなときにふと1stアルバム・犬は吠えるがキャラバンは進むを聴きなおして、そこに頼りなくも自分の言葉で必死にもがいて戦おうとする小沢健二の姿を見た。アルバムのクライマックスで歌われる天使たちのシーンの「神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている」という一節に冗談抜きで救われた。過去の冷笑主義からの脱却、そして誠実に生きようとするその姿勢に強く心を揺さぶられた。やたら攻撃的に言葉を操る若者でも渋谷系のポップスターでもない素の姿に思春期の自分はいまいちピンとこなかったのだけれども、その紡がれる言葉の強さにその時ようやく気づいた。今ではこのアルバムが彼のベストアルバムだと思ってる。


つらつらと書いたけど要は小沢健二が大好きなんですね、僕は。小沢健二は2010年に沈黙を破ってから今回のツアーまでに2回ライブ活動をしていたけれどもどちらも行けなかったし、それからまたしばらく潜伏してしまったから「もう無理かな」とも思ってただけに今回のツアーのチケットが当たった時は本当に嬉しかった。



で、ライブのことなんですけれども期待以上でした。往年のヒット曲を歌いまくって客に媚びるような懐メロ歌手になってたらやだなーと心配してたのがアホらしくなるくらい。過去の曲はきちんとアップデートされてシンプルなバンド編成でも過不足ないアレンジになってたし、何より今回のツアーのために書き下ろされた新曲たちがとても良かった。一昨年発売されたライブ盤・我ら、時にもその時点での新曲が数曲収録されていたのだけれども、その曲たちはいまいちピンとこなかった。言葉の鮮度というか力が圧倒的に足りないなというのが正直な感想で、妙に硬い言葉が並んでて聴いてて居心地が悪かった。だから今回新曲をたくさんやるツアーだと聞いていて微妙な気分だったけれど、このツアーは過去の曲でファンと楽しむためのものじゃなくて、この新曲たちで今の小沢健二を伝えるためのツアーなんだなというのがガツンと伝わってくる良い曲たちでした。


乱暴に言ったら全盛期の曲は"生きる"ということを書いた曲が多かったように思うのだけれども、新曲ではさらにその先の何か真理に触れようとする意思を感じた。そこにたどり着くまで手探りで彷徨うかのような不安定なメロディーと無茶な言葉の乗せ方は賛否両論だろうけど、僕はそれがリアルで良かったと思います。伝えるべきことが定まって力強くバンドサウンドで歌う彼の姿に泣きそうになった。というかライブ中泣きました。まるで宗教のように崇拝してたミュージシャンを間近で観れるのってこんなに幸せなことだったんだなぁ。


もしこの後のライブを観にいく人がいたら思う存分楽しんでくださいとだけ伝えておきます。完全復活して力強くなった今の小沢健二に会えます。

Planet Headphone

記事のタイトルはヘッドフォンだけどイヤホンの話。3年ほど使ってた6,000円くらいのSONYのイヤホンが3ヶ月前に断線してしまったので、次のイヤホンを買うまでのつなぎとしてiPhoneを買った時についてきた真白い純正イヤホン、EarPodsを使い始めた。使う前は「どうせオマケ程度の品物で音質も良くないんでしょ~?」と勝手な偏見を持っててしゃーなしで使い始めたのですが、これが案外侮れなかった。


カナル型じゃないから遮音性は仕方ないとして、音は別にケチをつける必要がないくらいには悪くない。変にベースがブーストされてたり高音がシャリシャリしたりってこともなくフツーの音。イヤホンを使う時って大概外でiPodで音楽を聴くときだから、抜群に音が良くなくても悪くさえなければいいんだから自分にはこれで十分でした。音にこだわりたいんなら外で聴くなよって話だし。地味に音量、再生のコントローラーがついてるのもありがたいですね。ポケットからiPodを出して操作してまたしまうっていう単純な作業も、電車の中や歩きながらだとはばかられるしそれが耳元のコントローラーでワンアクションでできるのは嬉しい。


さっき"遮音性は仕方ない"って書いたんだけれども、個人的にはこの遮音性が低いっていうのが案外よかったりもするのです。最近ingressっていうスマホのゲームを始めて外を散歩する機会が増えたんだけど、音楽を聴きながら散歩すると外の音が聞こえないというのがとても怖い。遮音性の高いカナル型イヤホンだと、狭い路地で後ろから近づいてくる車に気づかず横から追い抜かされてびっくり!ということがしばしばあった。スマホゲーと音楽に夢中になって事故にあうなんてアホらしいし、外の音が全く聞こえないっていうのも考え物です。


遮音性が低いことの喜びがもう一つ。それは聞いてる音楽と環境音がシンクロする瞬間が訪れること。イヤホンの向こうの演奏がフッと途切れた瞬間に聞こえる車の走行音、子供の笑い声、踏切の音、風の音。これがたまらなく気持ちいい瞬間が時々訪れるんです。特にエレクトロニカなんかのキレイ目な電子音の多い音楽を聞いてる時にこういう生活音が馴染むことが多い気がする。音楽を聴くっていう個の世界に閉じこもる閉鎖的な行為が世界と結び目を持つ瞬間、ミクロがマクロにグアッと広がる瞬間のとてつもないエネルギーを感じるし、たまらなく僕は感動します。なんのキャッチコピーだったか忘れたけど、「あなたの耳も楽器です」っていう言葉が毎回頭をよぎるのです。多分文脈は違うんだろうけど、いいフレーズだなぁこれ。


そんなわけで当分はカナル型以外のイヤホンで過ごしていこうかなー、と考えてる今日この頃でした。

Physical

3月の末からジムに通ってたわけですけども、通い始めて今日でちょうど2ヶ月。入会したときに一緒に申し込んだ初心者向けの全23回のトレーニングプログラムが今日終わりました。意外と早かったな~。根っからの文化系人間だしもっとダラダラ時間かかるかな~と思ってたけど、2~3日に1度はちゃんと通ってた計算になる。案外やるじゃん自分。


で、今日自分の身体の体脂肪やら筋肉量やら諸々を測定してもらって通い始めたころと比べてみたんだけども、思ったよりも成果が出てた。2ヶ月で体脂肪が1kg減、筋肉量が3kg増。……えっ、筋肉3kgも増えてんの!?マジで!?全然見た目に出てないし実感無いんですけど。ウケる。
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3kgっていったら自分がサブで使ってるシンセKORG R3と同じくらいの重さだけど結構あるよ?引っ込み思案過ぎでしょ筋肉。もっと積極的に前出てこ。うーむ、受講者のモチベーションを下げないために結果を盛って出してるのではないかと疑ってしまった。でもこの結果が本当だったらまだまだ継続する価値はあるな。なんだかんだでかなり喜んでいるので薄着になる季節に向けてもっとがんばります。


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話は変わって、いろいろなご縁があって6月末にライブをすることになりました。岡山で。コッチの人たち向けの音楽イベントで。まさか自分の故郷でライブをする日が来るとはくるとは思わなかった。でもキーボードは弾きません。なんじゃそりゃ。人生って不思議ですね。このブログを見てる人はTwitterから飛んできた人ばっかりだろうから知ってる人もいると思うしここに詳細は書かないですけど、Twitterのほうで宣伝していくと思うんでよかったら観に来てくれたら嬉しいです。もし興味がある人がいれば連絡くださいな。がんばります。

世界征服やめた

古本屋に行ったら浅野いにおソラニンがふと目に留まって購入。実はもうすでに持っているのだけれども、実家に置いてきてしまったし上下あわせてワンコインで買えるくらいだったし思い切って買ってしまった。てへ。最後に読んだのいつだったっけなー。とりあえずここ数年は読んでなかった気がするくらいには久々に読んだ。好きな漫画なのに。


もう10年前(今調べて死にそうになった)だし映画化もされた有名作だからあらすじとかいらないよね、多分。東京の片隅で同棲生活をしている男女、種田と芽衣子が曖昧な未来をなんとか手繰り寄せようと不恰好にもがこうとするストーリーです。雑だね。ごめんね。でもそんな感じ。詳しく知りたい人は調べればもっとちゃんとネタばれ抜きで書いてるサイトとかあるはずだからそっちを参照にしてね。


今回読んでみて、好きな漫画なのにここ数年読み返してなかった理由が分かった。今の自分が読むにはあまりにも"痛い"から。「見てられないくらい恥ずかしい……」意味合いの"イタい"ではなくて"痛い"。この漫画には自分の置かれている状況と嫌でも重ね合わせてしまって胸をえぐられるようなシーンがあまりにも多かった。特に目的があるわけでもないのに東京という街にしがみついてる芽衣子とか、余りある時間を引っかかりも無くただ浪費していく様子だとか、バイトと音楽をギリギリ社会の接点としてなんとか生活を回してる種田だとか書ききれないくらいに。みんなでわいわい花火を楽しんでるシーンで挿入される「今、この瞬間は いろんな現実から 目を背けた上に なりたってること。」っていう一連のモノローグが、前まではキラキラとポジティブなフレーズに感じられたのに、今は儚くて悲しい"終わり"を感じるようになってしまった。自分の見ようとしていない現状を"バーンっ!"とデフォルメして目の前に突きつけられているみたいで辛かった。学業も失敗して組んでるバンドも停滞気味で、バイトや諸々の予定でなんとなく日々を充実させているように見せかけてる現在の自分を指差されて笑われている気分になった。多分こういう気分になることを本能レベルで察知してて無意識で避けてたんだろうなぁ。


そんなこんなで読み終わって鼻水と涙がじわじわ出てきてびっくりするくらい気分が落ち込んでしまった……。わんわん泣いてすっきりするタイプの涙じゃなくて、いつまでも胸の疼きが収まらないタイプの膿みたいな涙だった。楽器を弾いたりして気分を紛らわせようとしたけど、正直まだ持ち直してないです。多分僕の人生で一番読むべきではない時期に読んでしまった。このモラトリアムの虚しさにいっそおぼれてすっきりしようと思って今は不可思議/wonderboyを聴いてます。

なんとなく僕の中で一番ソラニン感のある曲。モラトリアム感全開。daokoをフィーチャーしたMVのある正式な音源もあるんだけど、やっぱり相対性理論の音源に乗せてポエトリーするこっちのバージョンがベスト。まぁ聴け。


なんかジメジメと感傷に浸りすぎな感じもあるけど、それとは別になにかしらの焦燥感をじんわりと焚きつけられたのも事実なのでこれがプラスに働かせたいな。ちゃんと生きたい。

平坦な戦場

深夜眠れずTwitterをだらだら眺めていたら、岡崎京子botなるものを見つけた。1日1回、岡崎京子の漫画から引用した文章をツイートするbotだ。まぁこういう引用系botの是非は一旦おいといて、高校時代に岡崎京子リバーズ・エッジを読んで心を射抜かれた自分としてはサイコーにテンションがアがっちゃったのですよ。なかなか文章のチョイスもよくて「あぁ~~そうそうこの作品のこの台詞すげぇ好きなんだよ~~~わかる~~~~」と深夜のテンションでニタニタしてしまった。きもわる。


年季の入ったサブカル強者たちに散々語り尽くされている漫画家だから「岡崎京子とは~である!」みたいなことは全然言いたくないんだけど、僕はこの人の描くヌルい絶望感・閉塞感がとても好きです。学校サボったり、夜の街でテキトーに酒を飲み散らかしたり、惰性で身体を重ねたりと、刹那的に享楽を貪っているけどどこにも辿りつけないあの感じを、喜びも悲しみも怒りも全部フラットに描く残酷さにとても惹かれる。まだまだ全部の作品は読めてないんだけれども、とても好きな漫画家だ。


しばらくそのbotをスイスイーっとスクロールしていたらふと目に留まったツイートがあった。

失礼だよ ゲイだからって すぐセックスの話をもち出すのは 若草さんだって いきなり聞かれるの ヤでしょ? 少なくともぼくはいやだ ぼくは 話したくない

リバーズ・エッジでの山田くんの台詞。たしか主人公のハルナがゲイの男の子・山田くんに「男の人同士ってお尻の穴に入れるんでしょ~?」とか「入れるほうなの?入れられるほうなの?」とか無邪気に尋ねたシーンでの1コマ。無意識のうちに性的なイメージと同性愛者を結びつけて異性愛者が面白がるありふれた光景にサラッとカウンターパンチをキメる。高校生のころの自分はこの台詞に共感してなんとな~く救われた気分になってたな~と思い出した。


でも初めて読んだ頃から7~8年が経過して実際にゲイの世界と関わるようになってからこの台詞を読むと、異性愛者の人たちよりもゲイの人たちに言いたくなるなぁこれ。普段Twitterやらアプリやらでいろいろな人を見ていると、性的なイメージと同性愛者の等号にゲイである本人たちが縛られているような印象を受けちゃうのよ。数打ちゃ当たるとばかりにセックスのお誘いをかけまくる人もいるし、ネットの海に自分の裸体を晒して悦に入ってる人もいるし、聞いてもいない下半身事情をベラベラと自慢げに垂れ流す人もいるし……書き並べてみたらなんか眩暈がしてくるな……。僕は別に潔癖なわけでもないし中学生レベルのくだらない下ネタは好きだけれども、なんかこういうのは違うなって思う。笑い話にならないような性の話題をやたらめったら振りかざすのは暴力に近い。ゲイだという性的に少数で弱者であるということ(今はかなり存在が可視化されているから少数でも弱者でもすらないかもしれないけど)を免罪符にしてそういう話ばっかするのって嫌悪感すら覚える。そんな話題は無くてもコミュニケーションは可能じゃないのか。


ただ実際問題Twitterのフォロー・フォロワー欄を眺めてみると、"ゲイである"っていうこと以外よくよく考えてみたら共通項がない人がいっぱいいる。この人たちと僕をつないでるものって"ゲイである"っていうめちゃくちゃ大雑把すぎる共通項なんだよな。そうなってくると共通の趣味や興味がなければ交流の手段が必然的に"性"に収束していくって言うのも分からんでもないのだけれども……。それでいいのか果たして。ブレイクスルーすべきなんじゃないのか。


んん~なんかヘイトを撒き散らす文章を書いてしまったからしんどいぞ。何と戦ってるんだ僕は。

LIVE ON LIVE

昨日、というか日付が変わったからもう一昨日だけど、お世話になってるライブハウスのコピーバンドイベントに参加してきました。今を時めくサカナクションのコピーバンドでございます。そこのスタッフの人が声をかけて、普段は各々のバンドで活動してる5人が集まってバンドをすることになりました。音楽って言う接点だけで、日常で関わりが無い人たちがこうやって集まって何かをやるっていうのは不思議なもんですね。まぁメンバーにバイト先の先輩はいたけど。全然日常的に会ってる人だけど。これはこれで変な感じだった。変な感じというか恥ずかしかった。


全員生活リズムが違う人たちなので練習の日程もなかなか合わず、本番までに3回の深夜練習だけで形にしなきゃいけないから大変だった。このバンドとは別にサカナクションのコピーバンドを組んでたし、セットリストも2曲被ってたから負担は多少減るな~とは思ってたんだけど、シンセの音作りやら耳コピやらにえらく時間がかかるのよこのバンド。1曲あたり2~3時間くらい前準備に時間がかかるのよ。しんどい。練習の期間もあんまり無いからちゃんと個人で仕上げていかなきゃ殺される……と危機感との勝負でした。でもやりがいはあるバンドなのでモチベーションは高かった。ついでに言うとボーカルがタイプだったのも理由の一つだけどネ。


演奏したのは以下の5曲です。





ベストアルバムかよって感じですね。でも人前でやるコピーバンドってベタベタな選曲のほうが絶対良いよね。変にマニア心を出してアルバム曲、カップリング曲のオンパレードとかにするとファン以外楽しめないのよマジで。椎名林檎東京事変のコピーバンドにありがちな現象。素直に本能やらんかい!みたいな。あれなんなんでしょーね。


で、本番だけど久しぶりのコピーバンドのライブということで楽しすぎてはしゃぎすぎて結構雑な演奏をしてしまった気がする。反省。アイデンティティの大サビ直前のブオーーーーーンシュババババババババ!っていう部分がカッコイーからバッチリ決めたかったのに、そこで盛大に音色を間違えたのは今思い出しても飛び降りたくなる……。今日は録音してた音源を聴いて大反省会をしてました。でもキーボード1台とマルチエフェクター1台だけで打ち込みなしでそこそこ曲を再現できてたのは自画自賛したい。というかさせてくれないとつらくて耐えられない……。


普段オリジナル曲をやるバンドではどーしても"気負い"みたいなものがデカくなってしまって自分が楽しむ余白が残されてないライブになりがちなんだけど、コピーバンドだと変なプレッシャーがないから純粋に演奏・ステージを楽しむことができるのがやっぱり良いです。バンドの根源的な楽しみ方だと思う。軽音楽部で腐るほどやりまくったけどやっぱり好きだな、コピーバンド。誘ってくれたボーカルの人に「やっぱり誘って正解やったわ~。サカナクションやるなら最初からキミって決めてたけど間違いなかった!ありがと!」って言われて嬉しかったなぁ。自分の能力を、しかも好きな分野のことで人に認めてもらえるなんてこれほど嬉しいことはない。やったぜ!!!!


打ち上げは飲みまくって騒ぎまくって吐きまくっていかにもバンドマンな感じでした。なんかしらんけど流れで前述のボーカルにチューされた。複数回。うひょー。ごちそうさまです。結局朝まで飲んで始発の動く時間にマズいラーメンを食って帰路についたとさ。
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