ジョークとジョーク

ことばのリハビリですよ。

クロノスタシス

久しぶりにスタジオに入ってバンドで音を鳴らした。最後にスタジオに入ったのがいつだったか調べてみたら8月9日だったので4ヶ月ぶり。数ヶ月単位でスタジオに入らなかったのは、大学に入ってバンドを始めてから初めてだったかもしれない。考えてみれば最後に入った数ヶ月はモチベーションが地の底についたバンドでスタジオが苦痛になってたときだったので、純粋に音楽を楽しむ目的で入ったのはもっと前かもしれない。


今回は4人で"とりあえずスタジオでなんか曲を合わせて遊ぼう"ということだったので課題曲を2曲決めてから臨んだ。他のメンバーがボーカル、ベース、ドラムで僕がキーボード。ただ片方の曲がどうしてもキーボードで雰囲気が出ないので、そっちは慣れないギターでやってみた。幸いコードもシンプルで難しいことはやってないので耳コピは簡単だった。ボーカル、ベース、ドラムでバンドをやったことはあったけど、ギターを弾くのは初めてだった。




ギターを弾いたのはきのこ帝国のクロノスタシスだ。独り暮らしをしてた頃、深夜に近所のコンビニに買い物する時はほぼ必ずこれを聴いていた。コンビニはこれを2回聴き終えるかどうかでつくくらいの距離だった。演奏してるとその頃の夏の夜のまとわりつく空気だとか、人通りの少ない道を歩いてる時の無意味な無敵感だとか、部屋に戻るのを待ちきれずに帰り道で350mlの缶ビールを飲んだことだとか、そのままの足でIngressやポケモンGOをやったことだとかがふっと頭に浮かんできてなんだか切なくなった。


"バンドで音を鳴らす"という行為を久しぶりにできて心が高揚した。それと同時に「まだ自分の心は空っぽになってないな」と少し安心できた。延命治療のような見苦しい悪あがきのようにも思えるけど、やっぱり僕は音楽に触れていたいのだ。できればそれを鳴らす側でいたいのだ。改めてそう思った。

空っぽの気持ち

ダメ元で出してたエントリーシートが落ちた、と思う。就活サイトで見てるとどうも通ってる人には今週頭〜中ごろくらいに通知が届いてたようなので、今日の時点でなんの連絡もないということは落ちたんだと思う。経験・学歴不問とのことだったのでチャレンジしてみたものの、やっぱり大学出てないっていうのは痛手なんだろうなぁ。ダメ元でとは思ってたもののやっぱり凹むっちゃ凹む。自分の好きな音楽に関する職場へのチャンスだと思ってただけにちょいと未練。


実家に戻ってきて2ヶ月近くが経とうとしてるけれども、住んでいる場所が場所だけに働かずにいると社会と隔絶されている感覚がすごい。交通の便が悪い田舎で自分の車も持っていないので、どうしても世界の全てが自宅だけになってしまう。家族以外とのコミュニケーションもほぼないので、コミュニケーションを求めてTwitterに依存してしまう。実家に戻ってきてから確実にツイートが増えてるのを感じる。誰にも求められてない感覚が怖いんだと思う。結局寂しいという感情に負けてる自分が嫌だ。


新しい音楽や映画を上手く選べなくなってる自分にふと気づいた。いつの間にか少しずつ心が研磨されて触れるものがそこに引っかからずにすり抜けていってしまう感覚。AppleMusicやAmazonビデオを開けばたくさんの作品から選べるのだけれど、どうにも心の扉をノックしてくれない。こんな状態だから自分は音楽や映画が好きなのかどうか自信が持てなくなってきた。特に音楽は長いこと自分の生活やアイデンティティと結びついてただけに心がざわつく。曲を作る時間もたくさんあるはずなのに、言葉もメロディーも自分の中から出てこなくて焦燥感だけがつのる。そうこうしているうちに僕はいつの間にか空っぽになっていくのかもしれない。

愛の手の中に

珍しく車を運転した。5年前に免許は取得したものの「自分に運転は向いてないな」と教習中から薄々思っていたのでこれまで数えるほどしか運転していない。車社会の岡山に戻ってきたので運転は生きるために必要なスキル。そこで運転の練習も兼ねて母の外出についていった。


外出と言ってもショッピングや外食ではなく父方の祖母の見舞いだ。3年ほど前までは実家で一緒に暮らしていたのだけれど、足腰を悪くしたのもあり今は老人ホームに入っている祖母に先日の妹の結婚式の写真を見せに行った。実家から車で40分ほど。軽いドライブくらいの距離である。


どうも自分は見舞いというものが苦手だ。今まで経験した見舞いは癌で入院した父の見舞いとこの祖母の見舞いくらいでそんなに行ったことがあるわけではないのだけれども、ひどく気が進まなくなる。"身内が会いに来てくれるのは嬉しいことだ"というそこで待つ者の気持ちを想像したら"行くべきなのだ"ということは理解しているのだけれど、心が追いつかない。そしていくことを渋ってる自分に気づいて自己嫌悪に陥ってしまう。


ここ半年のちょっとした帰省のときはなんやかんや理由をつけて行かずじまいだったので祖母に会うのは今年初。なにかとトラブルメイカーで家族と衝突の多かった祖母のことだし、今日もこっちの話も聞かず喋り倒すんだろうな、と覚悟して部屋に行ってみるとどうも様子がおかしい。聞いてみると今朝から腕がしびれて気分が悪いと言う。一瞬、父が倒れる直前腕のしびれを訴えていたことがフラッシュバックする。


「腕の血行が悪いのかも」と母が片腕をマッサージし始めた。自分は持ってきた写真を祖母に見せながら沖縄は綺麗だったこと、親戚もみんな元気だったこと、妹が今までで一番綺麗だったことを説明する。いつもだったら相槌以上の返答でこちらに喋る間も与えないくらいなのに今日はほとんど喋らない。こちらもペースが狂ってしまって思ったよりも間が持たなくなってしまった。手持ち無沙汰になってしまったので、自分も母とは反対側の祖母の腕をマッサージすることにした。


祖母の身体に触れたのはいつぶりだろうか。父や母との衝突が多くなってきた中高生の頃から祖母を避けていたので、下手したら最後に触れたのは10年以上前かもしれない。もう思い出せないのでその頃と比較はできないけれども、手や腕を握った時の輪郭のない曖昧な体温は年月を感じさせた。そしてどことなく諦めの、もっと言えば死の手触りがした。自分はこの感覚と接したくなくて見舞いという行為を忌避していた気がする。


人の体に触れると、相手が誰であれなんとなく"許された"ような気分になる。どういうことなのかうまく言語化できないままアウトプットしてるのだけれども、祖母に触れながらふとそんなことが頭に浮かんだ。お互いの体温を感じあうその心地よさに罪悪やら過去やらなんやらを溶かして誤魔化しているだけなのかもしれない。自分の今までの不義理の許しを請うてるような感覚を覚えて軽い吐き気がした。


マッサージを終えて部屋を出るとき、祖母が軽く涙ぐんでるのを見て少しだけ心が痛んだ。死の匂いは過去の記憶や感情を、それが嫌悪であっても都合よくコーティングしてしまうのだなとぼんやり考えていた。


施設を出ると空が傾き始めていた。僕は金木犀の香りのする冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んで消毒液と死の匂いを追い出した。

君の話

日常生活で"君"って使います?バイト先で上司が僕を呼ぶときに"君"って使ってたけど、友人同士で使うことってあんまりないと思うんですよね。近しい間柄だったら苗字なり名前なりあだ名なりで呼ぶことが多いと思うし。"君"はやや古風な堅い二人称なイメージがある。口語で使ってると「なんか気取ってるな〜」という気になっちゃう。使ってる人いたらごめん。


でも歌や小説では今も昔も老若男女問わず使われてるんですよね、"君"。まぁ歌だったら対象の呼び方を曖昧にして共感度を高められるし、小説なら"君"という響きに文語っぽさもあるから使っても違和感はない。ここまで話しといてなんだけど問題はないか。普通だね。なんだそりゃ。


もうここからは歌詞に限定して話しちゃうんだけど、こうもいろんな曲で"君"という二人称が使われていると、単に自分の対峙している相手を指す言葉を超えてもっと大きな存在なんじゃないかなという気がしてくる。歌の中にしか存在しない、普段口に出すこともない、実態もはっきりしない何か。ただ各々の中に存在してるそれを束ねて呼ぶための"君"。めちゃくちゃ乱暴に言い換えたら"神様"に近いのかもしれない。


昔からいろいろな曲を耳にするたび、たくさんの"君"との物語が現れた。"君"と出会い、"君"に触れて、"君"は大人になり、"君"と別れ……。別に揶揄するつもりはないんだけど、巷の歌のほとんどは異性愛の曲だ。主人公が男性なら"君'は当然女性。逆もまた然り。僕は自然と曲中の男性に視点を寄せるので"君"は女性になる。異性愛が普通だと思って育ってきたからそうなってしまう。


それを続けていくうちになんとなく僕が歌に登場させる"君(女の子)"の像が固定されてきた。なぜかいつも青空の下に立っている、髪が長くてワンピースを着た女の子。今文章にしてみてめちゃくちゃ童貞臭くてびっくりした。今年25になった男が描く女性像なのに嘘だろってくらい発想が未熟すぎる。ステレオタイプすぎてその方面の人に怒られそう。まぁなんにせよ、この"君(女の子)"は僕の脳内で四半世紀くるくると表情を変えて様々な歌の中で生きているのだ。


けれどこの"君(女の子)"は決して僕にとっての本当の"君"ではない。当たり前だ、僕は同性愛者なのだから。言うなれば代役である。本来なら僕にとっての"君"は男性であるはずなのに、上手くその像が結べない。だからとりあえず"君(女の子)"に登場してもらうけどやはり空虚だ。


自然といつしか"君に会いたい"というぼんやりとした願望が芽生えてきた。パブリックイメージとして登場させる"君(女の子)"ではなく、僕にとっての"君"に会いたい。その宙ぶらりんな願望を抱いたままずっと生きてきた。未だに"君"が誰なのか、もっと言えば何なのかいまいちわかっていないし、この想いが解消される時が来るのかもわからない。今まで付き合った恋人たちももしかしたら"君"だったのかもしれない。確かに彼らが"君"だった瞬間があったのかもしれない。もうしばらく前のことだから忘れてしまったし、少なくとも今は違う。


自分の中では今日もまた女の子の"君"が歌の世界で"君"を演じている。そろそろ休ませてあげたい。

若者のゆくえ

部屋を引き払ってからの放浪生活が終わった。放浪生活と言っても大したことない、東京と関西をブラブラとうろついただけの小旅行。行きたいところに行って、やりたいことをやって、食べたいものを食べて、会いたい人に会って。10日間充実してました。


部活の友人、コッチの友人などいろいろな人に会って、かなり自意識過剰だと思うけど"自分が思ってるよりも僕は人に愛されているのかもしれないな"と少しだけ思った。僕が関西を離れることについて多少なりとも感情を動かしてくれる人たちや、快く遊びの誘いに乗ってくれたり宿を貸してくれたりする人たちがいてとても嬉しかったです。


一昨日に実家へ戻った。よく通ってたラーメン屋で昼飯を食って、JR六甲道駅から電車に乗った。三ノ宮、姫路、相生で乗り換えて2時間ちょっとで岡山へ。ボーッと音楽を聴きながら窓の外を眺めると、馴染みある街並みをゆっくり見納める暇もないままにどんどん景色が流れていく。この街に来るときは新幹線で来たし、なにより大学入学と新生活に胸躍らせてたので土地を出る感傷に浸る暇なんてなかったんだけど、こうやって時間をかけて離れていくと色んな場面、言葉、匂い、音の断片が入れ替わり立ち替わり蘇る。それは未来の暗示のようでもあり、走馬灯のようでもあり。


この街で僕が得たものは何だったのだろうか。失ったものや取り戻せない時間の方が多い気がする。目先の刹那的な楽しみのために時間、金、学力、若さ、いろいろなものを犠牲にしてしまった。こんな気持ちで神戸を離れたくなかったな。


地元を離れるとき、何もない田舎から羽ばたけることが嬉しくてたまらなかった。電車なんて走ってない、バスは滅多にこない、最寄りのコンビニは車で20分もかかるような土地。こんなつまんないところ絶対に戻ってやるもんかと思っていた。でもあの頃の自分が最も軽蔑するであろう形で地元に戻ってきている。この矛盾がたまらなく悲しい。うとうと電車で乗り過ごしそうになって飛び降りた駅のホームで"岡山"という2文字を見たときのなんとも形容できない疲労感や脱力感、家の迎えが来るまで駅の喫茶店で一服したときに関西弁が聞こえなかった違和感や寂しさはこの先忘れない。


前日の晩見た夢で自分は「帰りたくない」と駄々をこねて泣いていた。誰かに慰めてもらっていたけれど、誰なのかは思い出せない。もしかしたら自分自身だったのかもしれない。

人の住む場所

あと1時間もしないでこの部屋を出る。なんとか荷造りも掃除も終わってあとは退室点検の時間を待つだけだ。最初から最後まで全部一人でやったから間に合うかどうか不安だったけど、案外なんとかなるもんだね。



色気もクソもない備え付けの家具だけが残る殺風景な部屋にいてもいかんせんやることがない。スマホいじるかiPodで音楽を聴くくらい。イヤホンの世界に浸りながらぼーっと寝転がって、この部屋に来たばかりの、18歳の頃の気持ちを思い出そうとしてみる。初めての土地で大学生活に胸を躍らせて、でも不安も大きくてひたすら毎日に翻弄されてた。その時はまさかこういう形で部屋を出ることになるとは思ってもなかったよなぁ。自分が留年、退学するなんて思ってもなかったし、タバコも一生吸わないだろうと思ってたし、いろんなことがどんどんズレていく。





昨日の夜はおセンチになってしまってアルコール片手にふらふら散歩なんてしてた。よく歩いてた商店街や大学の敷地内やお気に入りの場所から夜景を見納めたり。やっぱりこの街が好きだって思ったし、離れたくないって思いが強くなっちゃったな。ちょっと失敗だったかもしれん。でも18歳からの青春時代をずっと過ごした街なわけだから、正直地元よりも土地勘も愛着もあるし離れたくないって思うのは当然じゃない?いい街だったなぁ神戸。


とりあえず今日部屋を出たら大学の友達と飲んで適当にどっかで夜を明かして、明日ライブ観てから夜行バスで東京に遊びに行きます。最後のモラトリアムだと思って見逃しておくれ。



昔から雨男なんだけど、やっぱり今日も雨でした。

スピードを上げてく

部屋を引き払うのが今月の22日に決まったので、ここ数日は空いた時間にぼちぼち引越しに向けて動いてる。以前友達の引越しの手伝いをした時、その友達があんまり計画的に進められてなかったからすげぇ苦労した覚えがあるのよね。彼はその部屋に住んでたのが1年くらいだったからそんなに物もなかったんだけど、それでも処分するものがゴミ袋15袋分くらいにはなってた。僕の場合は同じ部屋に6年以上住んでる上にCDやら本やらゲームやらをすぐ買っちゃう人間だから物が多い。夜勤明けでゴミが捨てれない日もあるから前もって考えて進めていかないと詰むぞ……という危機感と教訓を胸に気は進まないけど作業は進めてます。あぁ今俺もしかして上手いこと言ったかな〜。


いきなり食器やら電化製品やらを片付けてしまうと引越しまでの期間を部屋で過ごすのに不便なので、ひとまずCDや本やゲーム等々、趣味の物品を箱に詰めてみた。



一昨年くらいに置くスペースに危機感を覚えて段ボール1箱分くらいのCDを部活の後輩に売ってはいたんだけど、それでも棚に収まりきらず洋服棚へ侵食、最終的には7畳半の床の隅にタワーを作ってたCDたちを詰める。もう順番なんか気にせずガシガシ詰める。四角い箱の隙間を埋めてるとテトリスやってる気分。


母さん、僕はこういうときにCDを見せて趣味をアピールするイヤらしい男に育ってしまいました。


で、こんな感じ。

いやー疲れた。まず段ボールを近所のスーパーから運んで組み立てるのも疲れたし、微妙に定型のCDケースとは形が違うやつをできるだけ無駄なく詰めるのにも頭を使って疲れた。

実はCDを入れてた棚も部屋に備え付けの食器棚だったんだけど、ようやく本来の姿に。結局食器は一度も入れなかったね。ごめんね。


こんな感じで本やCDや服を詰めたので、続いては用済みになった衣装ケース、本棚に加えてついでに座椅子やソファベッドをゴミ袋で捨てれる状態にバラすことに。粗大ゴミって金かかるしね〜。物を買うのにも捨てるのにも金がかかるってなんの皮肉だよホント。


これを

こんな感じに。どれもニ○リ製だったり無名メーカーだったりの安っぽい作りだったおかげで素人でもなんとかなりました。面倒だったのは座椅子、ソファベッド内部の鉄製の骨組み。これはちょっと切れ込みを入れて力任せにバキッと折ってなんとかなるもんでもないから、ひたすら汗水たらしてノコギリでギコギコと切断してた。プラスチック製の衣装ケースも意外と面倒だった。


そんなこんなでとりあえず生活に必要ないものは送ったりゴミに出したりできる状態にできました。どれもまだ部屋に残ってるから今は実感がわかないけど、部屋から出したらちょっとは引っ越す実感出てくるかなぁ。夕方に一息つこうとベランダで一服してるとき、独り暮らしを始めたときに買ったCarnationのWILD FANTASYを聴いたらなんとなく物寂しさを覚えたけど、まだ部屋の片付けをしてるだけって感じがしてよくわからないな。この街もあと2週間足らずか。早かったな。