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ジョークとジョーク

ことばのリハビリですよ。

平坦な戦場

日常

深夜眠れずTwitterをだらだら眺めていたら、岡崎京子botなるものを見つけた。1日1回、岡崎京子の漫画から引用した文章をツイートするbotだ。まぁこういう引用系botの是非は一旦おいといて、高校時代に岡崎京子リバーズ・エッジを読んで心を射抜かれた自分としてはサイコーにテンションがアがっちゃったのですよ。なかなか文章のチョイスもよくて「あぁ~~そうそうこの作品のこの台詞すげぇ好きなんだよ~~~わかる~~~~」と深夜のテンションでニタニタしてしまった。きもわる。


年季の入ったサブカル強者たちに散々語り尽くされている漫画家だから「岡崎京子とは~である!」みたいなことは全然言いたくないんだけど、僕はこの人の描くヌルい絶望感・閉塞感がとても好きです。学校サボったり、夜の街でテキトーに酒を飲み散らかしたり、惰性で身体を重ねたりと、刹那的に享楽を貪っているけどどこにも辿りつけないあの感じを、喜びも悲しみも怒りも全部フラットに描く残酷さにとても惹かれる。まだまだ全部の作品は読めてないんだけれども、とても好きな漫画家だ。


しばらくそのbotをスイスイーっとスクロールしていたらふと目に留まったツイートがあった。

失礼だよ ゲイだからって すぐセックスの話をもち出すのは 若草さんだって いきなり聞かれるの ヤでしょ? 少なくともぼくはいやだ ぼくは 話したくない

リバーズ・エッジでの山田くんの台詞。たしか主人公のハルナがゲイの男の子・山田くんに「男の人同士ってお尻の穴に入れるんでしょ~?」とか「入れるほうなの?入れられるほうなの?」とか無邪気に尋ねたシーンでの1コマ。無意識のうちに性的なイメージと同性愛者を結びつけて異性愛者が面白がるありふれた光景にサラッとカウンターパンチをキメる。高校生のころの自分はこの台詞に共感してなんとな~く救われた気分になってたな~と思い出した。


でも初めて読んだ頃から7~8年が経過して実際にゲイの世界と関わるようになってからこの台詞を読むと、異性愛者の人たちよりもゲイの人たちに言いたくなるなぁこれ。普段Twitterやらアプリやらでいろいろな人を見ていると、性的なイメージと同性愛者の等号にゲイである本人たちが縛られているような印象を受けちゃうのよ。数打ちゃ当たるとばかりにセックスのお誘いをかけまくる人もいるし、ネットの海に自分の裸体を晒して悦に入ってる人もいるし、聞いてもいない下半身事情をベラベラと自慢げに垂れ流す人もいるし……書き並べてみたらなんか眩暈がしてくるな……。僕は別に潔癖なわけでもないし中学生レベルのくだらない下ネタは好きだけれども、なんかこういうのは違うなって思う。笑い話にならないような性の話題をやたらめったら振りかざすのは暴力に近い。ゲイだという性的に少数で弱者であるということ(今はかなり存在が可視化されているから少数でも弱者でもすらないかもしれないけど)を免罪符にしてそういう話ばっかするのって嫌悪感すら覚える。そんな話題は無くてもコミュニケーションは可能じゃないのか。


ただ実際問題Twitterのフォロー・フォロワー欄を眺めてみると、"ゲイである"っていうこと以外よくよく考えてみたら共通項がない人がいっぱいいる。この人たちと僕をつないでるものって"ゲイである"っていうめちゃくちゃ大雑把すぎる共通項なんだよな。そうなってくると共通の趣味や興味がなければ交流の手段が必然的に"性"に収束していくって言うのも分からんでもないのだけれども……。それでいいのか果たして。ブレイクスルーすべきなんじゃないのか。


んん~なんかヘイトを撒き散らす文章を書いてしまったからしんどいぞ。何と戦ってるんだ僕は。