ジョークとジョーク

ことばのリハビリですよ。

JUMP

7月29日金曜日、今住んでいる部屋を9月いっぱいで退去することを管理会社に連絡をした。8月9日火曜日、三宮でのライブをもって組んでいたバンドを脱退した。これで実質的に神戸でのバンド活動に一区切りがついた。大学の部活も含めたら約6年半青春を捧げたことになるけれど、それが終わるからと言ってなにか盛大なイベントがあるわけでもなし、案外あっけないものである。バンドで賞をとったわけでもないし、CDが全国に流通したわけでもないし、なにか結果を残したわけではないから"青春を捧げた"と言うにしては中身が伴ってない気がするけども、甲子園に出場できなかった野球部が"野球が青春だった"と言ってはいけないのかと言われたらそうじゃないしまぁいいでしょう。そんなもんですきっと。


この最後に組んだバンドに関しては、リーダーとの温度差やバンドのマネジメントの不備に対して不満が溜まってしまって、表面上は神戸を離れるから……という理由で円満に抜けることができたけれども、自分の中であまり気持ちのいい結末に持ってこれなかったので申し訳ないなという気持ちがある。でも正直な話脱退することができてホッとした。今まで誘われた活動はほぼ断らずにやってきたけれども、時間とお金は思ったよりも有限だし、自分を疲弊させるための活動はもうすべきではないなと思う。


ここまでバンド活動の暗部ばかり書いてしまった。少し反省。なんやかんやでバンドで作った曲や自分の作ったフレーズ、音色に対しての愛着はあるし、ライブでは僕なりに精一杯供養させてもらいました。演奏が終わった後にボーカルの女の子と「全然最後感ないよねー」って喋ったけど、客席でいつものサッポロ瓶ビールとハイライトを手に他のバンドの演奏を観てたら「あーもうここに立つことはないのかなー」って考えて少し寂しくなったなぁ。客として6年半、空白の期間はありつつも演者としても3年近く通ってたライブハウスだし。お世話になりました。


終演後の打ち上げはちょろっと参加するつもりが終電を逃してしまったので、6kmの道のりを楽器を担いで歩くことになってしまった。帰り道に一人でボーッと歩いていたら、無事円満に抜けることができた解放感だとか
、初めてスタジオでバンドで音出しをした日のことだとか、自分の曲をスタジオに持っていってみんなで試行錯誤しながら作ったことだとか、打ち上げでタイプのノンケとふざけてチューしたことだとか、部活の合宿でトリルをしてたら鍵盤が折れたことだとか、昔組んでたバンドの解散ライブでのステージからの景色だとか、いろんな思い出や感情が頭に浮かんできた。おまけにiPodからは初めてライブハウスで演奏をした思い出の曲、忌野清志郎のJUMPが流れてたしなんとも言えない気分。なんて言えばいいんだろうなこういうの。切なさ?寂寥感?


ただひとつ確かなのは、バンドは僕の青春のすべてで、今日自分でそれに区切りをつけたんだという事実。自分が世界中で一番カッコよくなれたようなあのステージ上での高揚感は忘れることはできないし手離したくないけど、しばらくはお別れです。ずっと酷使し続けたキーボード、KORG X50も修理に出してあげよう。ありがとう相棒。音楽活動自体は宅録なりなんなりで続けていくつもりなんで、いつか戻ってこれるように進みます。絶対に戻るぜ。