ジョークとジョーク

ことばのリハビリですよ。

君の話

日常生活で"君"って使います?バイト先で上司が僕を呼ぶときに"君"って使ってたけど、友人同士で使うことってあんまりないと思うんですよね。近しい間柄だったら苗字なり名前なりあだ名なりで呼ぶことが多いと思うし。"君"はやや古風な堅い二人称なイメージがある。口語で使ってると「なんか気取ってるな〜」という気になっちゃう。使ってる人いたらごめん。


でも歌や小説では今も昔も老若男女問わず使われてるんですよね、"君"。まぁ歌だったら対象の呼び方を曖昧にして共感度を高められるし、小説なら"君"という響きに文語っぽさもあるから使っても違和感はない。ここまで話しといてなんだけど問題はないか。普通だね。なんだそりゃ。


もうここからは歌詞に限定して話しちゃうんだけど、こうもいろんな曲で"君"という二人称が使われていると、単に自分の対峙している相手を指す言葉を超えてもっと大きな存在なんじゃないかなという気がしてくる。歌の中にしか存在しない、普段口に出すこともない、実態もはっきりしない何か。ただ各々の中に存在してるそれを束ねて呼ぶための"君"。めちゃくちゃ乱暴に言い換えたら"神様"に近いのかもしれない。


昔からいろいろな曲を耳にするたび、たくさんの"君"との物語が現れた。"君"と出会い、"君"に触れて、"君"は大人になり、"君"と別れ……。別に揶揄するつもりはないんだけど、巷の歌のほとんどは異性愛の曲だ。主人公が男性なら"君'は当然女性。逆もまた然り。僕は自然と曲中の男性に視点を寄せるので"君"は女性になる。異性愛が普通だと思って育ってきたからそうなってしまう。


それを続けていくうちになんとなく僕が歌に登場させる"君(女の子)"の像が固定されてきた。なぜかいつも青空の下に立っている、髪が長くてワンピースを着た女の子。今文章にしてみてめちゃくちゃ童貞臭くてびっくりした。今年25になった男が描く女性像なのに嘘だろってくらい発想が未熟すぎる。ステレオタイプすぎてその方面の人に怒られそう。まぁなんにせよ、この"君(女の子)"は僕の脳内で四半世紀くるくると表情を変えて様々な歌の中で生きているのだ。


けれどこの"君(女の子)"は決して僕にとっての本当の"君"ではない。当たり前だ、僕は同性愛者なのだから。言うなれば代役である。本来なら僕にとっての"君"は男性であるはずなのに、上手くその像が結べない。だからとりあえず"君(女の子)"に登場してもらうけどやはり空虚だ。


自然といつしか"君に会いたい"というぼんやりとした願望が芽生えてきた。パブリックイメージとして登場させる"君(女の子)"ではなく、僕にとっての"君"に会いたい。その宙ぶらりんな願望を抱いたままずっと生きてきた。未だに"君"が誰なのか、もっと言えば何なのかいまいちわかっていないし、この想いが解消される時が来るのかもわからない。今まで付き合った恋人たちももしかしたら"君"だったのかもしれない。確かに彼らが"君"だった瞬間があったのかもしれない。もうしばらく前のことだから忘れてしまったし、少なくとも今は違う。


自分の中では今日もまた女の子の"君"が歌の世界で"君"を演じている。そろそろ休ませてあげたい。