ジョークとジョーク

ことばのリハビリですよ。

空想X

何もない日曜日の午後は過去の自分に殺されそうになる。物語のクライマックスで今までの伏線がフラッシュバックするように、何かを暗示するかのように。人生における行動はゲームの選択肢のように正解不正解が明示されているわけではないのだけれども、過去の自分はそれが絶対100%間違いだと訴えていて同時に正解を選んだ時のパラレルワールドも提示してくるから非常にたちが悪い。ただの妄想でしかないのだけれども、もともと妄想癖が強い僕はどうしてもそれに強烈な質量を感じてしまいそのまま心に残ってしまうのだ。


僕の後悔の原因のほとんどはコミュニケーションだ。相手の反応に対して僕が余計な解釈をあれこれしてしまい、結果言葉や行動の過不足を引き起こしてしまう。文章や映像に触れるとき、そこにある空白を自分の解釈で埋めて完成像を作るのは正しい。でも対人関係においては自分一人では完成像を作れないはずなのにいつも勝手に像を作り上げて勝手に喜び、勝手に悲しんでしまう。その結果離れてしまった人たちのことを考えると自己嫌悪で気分が悪くなってくる。


誰かに話をしたりしてこのもやもやを解決したいなとは思うのだけれども、人に会えばいつも意味のない言葉ばかりを並べて一瞬を楽しむためだけに時間と言葉を無駄にしてしまう。未だに僕は僕のことをしゃべる手段を知らない。いっそ誰ともコミュニケーションをとらずにいればいいのかなとも思うけど、どこかに切実に人を求めてしまう自分もいてそれがとてつもなくめんどくさく、何も考えたくなくて適当に音楽を流して脳内を埋めている。


こんな気分で明日からの一週間を乗り切れるのかといつも不安で死にそうになるけど、多分なんやかんやで僕は生き延びてしまうんだろうし、そこそこ楽しい瞬間も訪れるんだろう。こんなことを繰り返して生きていくんだからなんだか気が遠くなるね。