ジョークとジョーク

ことばのリハビリですよ。

アネモネ

雑記です。タイトルはさっき聴いてたMOON CHILDの曲名だから意味なんかないです。

爽やか!!!


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ジムは週2~3回の頻度でなんとか続いております。ぶっちゃけちょっとダレてきてたけど、今日筋肉量だとか体脂肪率だとかを計ってもらってたらわずかではあるけども数値が良い方向に変わってきてた!いまいち効果があるのかどうなのか半信半疑なところが多かったけど、こうやって結果を可視化されると俄然モチベーションが上がるね。まだまだ頑張れそうな気がしてきた。


ジムに通いだしてから洗濯をする頻度がめちゃくちゃ増えた。洗濯機の容積が小さいし、なによりトレーニングウェアを2組しか持ってないからジムに行けなくなってしまう。面倒である。とりあえずトレーニングウェアをもう1組買うかな~。


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ふとパフェが食いたくなって近所の喫茶店に行ったら軽音楽部の後輩がいた。にしてもやけに人数が多いし知らない顔がいっぱいいる……と思ったら新歓でご飯に連れてきてたらしい。完全に知り合いに会う心構えができてなかったし、顔を合わせた瞬間にお互いキョドるし、後輩が新入生に「あの人は俺たちの5つ上のOBで……」みたいに説明してるし「逃げたい……」という考えでいっぱいだった。


どうにか平静を取り戻してアイスコーヒーとパフェをむさぼりつつ「新歓かー懐かしいなー」と感慨にふけってたけど、新歓って上手くできたためしがないんだよな~。「軽音楽部だし音楽の話すれば問題ないじゃん!」って思われがちだけど、やっぱり音楽と一口に言いましてもやっぱりいろいろと個々人で趣味があるから、被らなかったら全然話が盛り上がらないのよ。僕はそんなに邦ロックを聴いてるほうではなかったから特に話が合わなくて、いつも一人暮らしあるあるみたいな話ばっかりしてた気がする。いやらしい話をすると新入生の食べた分は当然おごるからお金もバンバン飛んでいくし、完全に"仕事"と割り切ってやってたな……。


てなわけで頑張ってる後輩君たちをねぎらうためにこっそりお札を渡してお会計の足しにしてもらいました。いっぱい入部するといいね。


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豆腐とエノキをメインにしたお好み焼きがマイブームでここんとこ毎週のように作って食べてる。豆腐と卵と顆粒だしをよくかき混ぜてペースト状にしてから小麦粉をちょっとずつ足して生地の固さを調節、そして適当に切ったエノキと粗みじん切りのキャベツを混ぜて焼くだけ。ふわふわの生地とエノキの繊維質な食管がGOODなのですよ。具から結構水分がでるから生地をちょっと固めに作るのがコツ。ネギとポン酢とマヨネーズをかけて食べると最高。お試しあれ。

Speed King

前日の雨もあがって初夏のような陽気になった4月22日。無意味に外に行きたくなるよね。走り出したくなるよね。
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ということで走ってきました。原付で。


ryuryuryuryu.hatenablog.com
先日原付を廃車にしてからずっと徒歩での生活を強いられていて、利便性の点では案外なんとかなるな~って思って散歩感覚で歩くのを楽しんでた。でも季節は春。外気が気持ちいい。特に今まで原付で走り回るのがだいすき!ってわけではなかったんだけれども、あの風を切る感覚を思い出したらどうにもこうにも止まらなくなってしまった。ということで思い立ったら吉日!近所の原付がレンタルできる店に行って借りてみました。1日レンタルで1,600円。悪くない。


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うひょー久々ー!やっぱり春、秋の外気を走り抜けるのはたまらん!風を浴びるあの感じが久々に心地よすぎて走り始めて5分くらいはずっとニヤニヤしてしまった。


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特にどこに行こうか考えてなかったんだけど、六甲山が目に付いたからとりあえず登ってみることにした。山道はほとんど車も人も通らないしほぼ独占状態。広大な山が自分のモノのような錯覚に陥りそうなくらい誰もいない。大声で歌いながら走っても誰にも聴かれない。最高かよ。山のちょっと冷えた空気をパーカー越しに感じつつ好きな歌を歌いながら走るのは贅沢な気分でした。


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途中展望台に立ち寄って一服。この眺めを観ながらはたまらんですね。


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そっからさらに走らせて六甲山牧場まで行きました。六甲山のふもとに住んでいながら何気に今まで行ったことないし良い機会。
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ほのぼのするね。
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シュールで好き。
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ソフトクリームとレアチーズデザート。どっちも濃厚で美味しかったです。あとチーズパンも食べたけど写真撮ってないや。そっちもチーズが凄く風味豊かで美味かった。
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あまりに美味しかったから自分用の土産にチーズとビールとワイン買っちゃった。勢いは大事だよ。


ボーっと5時前くらいまで牧場を楽しんだら山を下って原付を返しに。ちょっと名残惜しいから普段通らない道なんかを通ったりして遠回りして時間を稼ぎつつ店に向かいました。うーんやっぱり原付は手元に置いときたいなぁ。交通手段としても便利だし、こういうちょっとしたツーリングにも最適。また買っちゃおうかなぁなんて心が揺らぐ。今日借りた店で長期のレンタルもやってるみたいだし考えてもいいかもしれない。


全部終わったし家に戻ってカレーでも作るかなーと思ってたら、軽音部の先輩から「今近くだから飯を食おう」ということでそのままの足でそばにあった中華料理屋に。
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ここの刀削麺が美味いのよ~。刀削麺っていうのは生地の塊を刃物で削って作る麺。つるつるしこしこの食感でとても好き。これと小籠包と北京ダックを注文して一人1,500円弱。お安い。ただちょっと前にソフトクリーム、レアチーズデザート、パンを食べてたから腹がはちきれそうだった。とても充実した良い一日だった。まる。

東京日和 part2

4/16(土)


5時半に起きて身体はまだ疲れていたけれどもそのまま先輩宅を後に。
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なぜこんなにも早起きなのかというと築地まで朝飯を食いに行ったから。前日一緒にライブを見た友人が築地に行きたいということで、せっかくなので一緒に待ち合わせして食いに行きました。土曜日だからかどの店も満遍なく行列ができていたので、最後にたどり着いたブロックの寿司屋で寿司をいただくことに。
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寿司の写真を撮り忘れるくらい美味かった……。マグロ、中トロ、大トロ、うに、いくら、穴子etcの14貫セットで2,400円也。大満足。食べるごとに「美味い美味い」って言いながら食ってたら、気難しそうな顔した職人さんがカウンター越しに「それ、美味いでしょ。今朝届いたばっかりだよ。」とちょっと表情を崩して話しかけてくれたのが印象的だった。美味いものは美味いって素直に言って方がみんな幸せになれるね。


お互い活動しだすにはまだ時間も早かったから適当に喫茶店でお茶して時間をつぶして解散。僕はさらに次の予定まで1時間ちょっと時間が余っていたので、ぶらぶらと散歩をすることに。近くに日比谷公園があったからそこで日向ぼっこしてた。ベンチに座ってたら近くの外人が「Yeaaaaaaaaaaaaah!!Shibuyaaaaaaaaaaaaaa!!!!」って写真を撮ってたけど、僕の聞き間違いであることを願う。
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ついでに日比谷野外音楽堂も見てきた。イベントの設営をやってたからあんまり近づけなかったけど、「あぁ、ここで小沢健二フィッシュマンズがライブをしたんだなぁ」とぼんやり思いを馳せてました。いつかライブを観にきたいな。


そんなこんなでちょうどいい時間になったので、下北沢へ移動して友達と待ち合わせ。就職で東京に引っ越した元ご近所さん。僕の希望で孤独のグルメの漫画版に出てきたピザ屋で昼飯。好きな具をチョイスして焼いてもらえるお店だった。ピザは美味しかったし、気さくな喫茶店みたいな内装で身構えずに入れる良いお店でした。それから表参道~渋谷~原宿あたりをいっしょにブラブラ散歩したんだけど、表参道を歩くときだけなぜか鼻水が止まらなかった。街全体の放つおしゃれオーラにアレルギー反応が出たのかも。表参道アレルギー患者ということが発覚してしまった。つらい。あと、原宿あたりは風を切って歩けないほど人ごみが凄かったからオザケンにクレームつけたい。


夜はTwitterで仲良くなった友達と上野の居酒屋へ。全員顔を合わせるのは初めてだったけれども、音楽が好きな人同士だったので退席時間までがえらく短く感じるくらい話が弾んだ。退席時間さえなければずっと店にいる勢いだった気がする。正直しゃべり足りなかったからまたお会いしてしゃべりたいなと切に思った。


その日の宿はまた別の友人の家にお邪魔になりました。ひっさびさにスマブラやってぼこぼこにされた。くやしい。このあたりから眠すぎて記憶があんまないです。


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4/17(日)


旅行最終日。起きたらものすごい雨風でちょっとたじろぐ。でもこの日はもともと宿を借りた友達に誘われて午後からボードゲームで遊ぶことになってたから大して関係ない。我ながらナイスなスケジュールである。13時に駅前に参加者が集合してから飲み物食べ物を買出ししてボードゲーム三昧。最高の休日ですな。ドメモ、ゲシェンクワードバスケット、ワンナイト人狼、街コロと、やったことあるもの、ないもの含めて4~5時間ほどぶっ続けでプレイしてなかなかに知恵熱が出そうでした。酒飲みながらやってたからどんどんIQ下がっていくし大変。今回初めて会う人がほとんどだったけど、それでも盛り上がれるボードゲームは優秀なコミュニケーションツールだなぁと実感した。楽しかった。そうこうしているうちに晩飯を食ったら夜行バスの時間に。名残惜しいけど駅でお別れしてバスタ新宿へと向かいました。


バスに乗る前にちょっとやり残したことがあったので実行することに。毎回東京に来るたびに、新宿の南口でこの2曲を聴くのが自分の中の恒例行事になっているのです。




自分の敬愛しているミュージシャンが歌にした場所、歌った場所でボーっと行きかう人を見ながらこの2曲を聴くのが僕にとってはクールな行為なのだ。浸りすぎキモいとか言うな。



帰りのバスはなんだかセンチメンタルだった。いつも楽しいことの後は寂しくなるんだけれども、今回は人と過ごす時間が多かったせいかなぁ。初めて会う人、久しぶりに会う人、会いたかった人、とにかくいろいろな人に会えて楽しい時間を過ごせた。この場を借りてお礼を言います。ありがとうございました。カメラロールを眺めながら旅行のいろいろなことを思い返している途中、部活で仲良くしてもらっていた先輩から結婚の報告と式の招待のメールが届いた。そのメールが嬉しかったのと、旅行が終わって寂しかったのと、酒に酔ってたせいもあるけれど、急に胸がいっぱいになって涙が出てきてしまった。今までもライブ遠征で東京には何度も来ていたけど、こんな感情になるのは初めてで戸惑ってしまった。そのまま感情が高ぶったまま上手く寝付けず翌日の朝神戸に帰ってきた。いつもの阪神電車の発車音がとても懐かしく聞こえた。


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いろいろ思い返しながらダラダラ書いてたら結構長くなってた……。バイトの時間が近づいてるから後半はだいぶ駆け足な文章になってるけどご勘弁を。人にも天候にもイベントにも恵まれて、過去最高の東京旅行となりました。正直まだ寂しさを引きずってるし、自分がこんなに寂しがりだったんだと気づいてびっくりしてる。うーむ、まぁ充実した旅行の証としてこの喪失感を楽しみつつ夜勤に臨もう。いざ日常へ!

東京日和 part1

夜行バスで腰をイジメたおして自分の部屋に朝方帰還してから今まで泥のように眠ってた。2泊3日の東京旅行、道中は全然そんな風には感じなかったけど、なんやかんやと慣れない土地でフルに活動していたせいか思ってたよりも疲れてたみたい。正直まだ眠り足りないけど、今夜バイトだから寝過ごして遅刻するのも怖いし、記憶が薄れないうちに日記的なものを残しとこうと思います。


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4/15(金)


朝方6時半、夜行バスで新宿駅へ到着したらそのまま品川へ向かった。昔ネットの記事で見た"生ハム食べ放題モーニングブッフェ"を食べに行くためです。去年も東京に来たときに行こうと思ってたけど、開店30分前に店に着いたらもうその日のうちの受付は終了してしまってた苦い思い出のある店。「絶対にリベンジしてやる!!!!」と意気込んで開店1時間前に行ってみたけれども、自分の前に4人並んでただけで肩透かし。ムーブメントのスピード感をしみじみと実感しつつお店がオープン。
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結論、生ハムは一度に大量に食えない。美味しいけどあんな塩気の強いモノを何回も大量におかわりしたら死ぬ。幸福な自殺行為。まぁ620円というお手ごろ価格だし、元を取るためにガンガン食べまくらなくても満足度は高いお店だった。


朝食後はお台場の日本科学未来館へ。
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このGAME ONという展示が見たかったのよ~。最近ゲームからは遠のいていたものの、幼いころゲームキッズだった自分としてはたまらない展示!そして何よりPS VRの体験会に参加できる!ということで体験会の整理券を確実に入手するため開館直後に到着。14時過ぎの整理券だったから3~4時間ほど時間が空いてしまうので昼飯を食うついでにお台場をブラブラと散策。
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海沿いの公園で「ハーバーランドみたいな雰囲気だなぁ」と考えながらサンドイッチをほおばってボケーッとしたり、初代南極観測船を見学したりのんびりと。


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再びGAME ONへ。いたるところに新旧問わず古今東西アーケードゲームコンシューマーゲームが並べられていて大興奮。実際に遊ぶこともできるから、その気になれば1日中ここで時間つぶせるんじゃないかっていうくらい充実してた。そんでもってお目当てのPS VRの体験会。これはもう凄いとしか言えなかった。ゴーグルをつけてあたりを見渡すと、視界の外でも360°全体に世界が広がってる。SFで読んだような仮想現実そのまんま。ドキドキが止まらなかった。未来がそこにあった。
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やってる姿はえらく間抜けだね。
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お土産コーナーのゲームギアのTシャツ、ちょっとほしかった。


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そして今回の最大の目的でもあるこちらのライブへ!Original Love × ペトロールズ × ceroのスリーマンイベントLove Jam!自分の大好きなバンドがいっぺんに見れるこんな贅沢なイベントなかなかないよ……。同じくこのライブのために関西から来てた友達と合流して会場内へ。ステージ上手側、前から3ブロック目あたりのそこそこ見やすい位置で高鳴る胸を押さえつつ開演を待つ。以下感想。

cero

Obscure Rideが死ぬほど好きで、去年だけでも関西で2回ライブを観にいったcero。編成もなかなか大所帯だからやっぱりこういう大きい会場だと映える。まだ若いバンドだから回を重ねるごとにライブのクオリティーがちょっとずつ上がってるのが感じられて良いですね~。ベースの音量が妙にでかくてちょっとバランス悪かったのが残念。その分ベースラインの目立つElephant Ghostは迫力があってとても良かった。Summer Soulでは田島貴男がゲストで参加して歌うサプライズも。楽しかった。

トロール

好きになって日が浅い、というかアルバム・Renaissanceしか聞いたことがなかったから楽しめるかどうかちょっと不安だった。でも期待を上回る演奏で大満足。直前が大所帯のceroだったから3ピースバンドらしいタイトな演奏が余計に際立ってて良かった。コーラスワークも絶品!次に観る機会があればもっと規模の小さいハコで音圧を感じたい!途中ペトロールズの曲からOriginal Loveの夢を見る人へとつなげるウルトラCが飛び出して死ぬほど興奮してしまった。というかちょっと泣いてしまった。

Original Love

中学生のころに風の歌を聴けを聴いたのがキッカケで渋谷系にハマりだしたので、ある意味自分の音楽的趣向を決定付けたミュージシャン。正直な話、東京飛行あたりのアルバム以降は聴いてなくてファンというのは憚られるレベルではあったんだけど、10年以上愛聴し続けている憧れの人を初めてライブで観れるっていうのは期待がめちゃくちゃでかかったし、それと同時に期待を裏切られたらどうしよう……っていう不安も同じくらいあった。そんなOriginal Loveの初ライブですが、想像を上回る120%のライブでした。やっぱり25年のキャリアは伊達じゃないなっていうくらいステージのクオリティーが高い!このおっさん何歳やねん……っていうくらいパフォーマンスも全力投球。あんなステージをされたらこっちも全力で身体を動かすしかない。結果ライブが終わるころには首を痛めました。セットリストも僕の大好きだったころの曲たちを演奏してて本当に感涙モノだった。まさか心理学、ティラノサウルス、Two Vibration、The Roverが聴けるなんて……!!このためにわざわざ遠征して本当に、本当に良かったなと心から思えた。


全部で3時間弱のステージもあっという間に終わり、余韻に浸りながら友達と晩飯を食ってお互いその日の宿へ。軽音楽部時代の先輩の家にお邪魔させていただきました。急な申し出だったのに受け入れていただき感謝。なぜか猛烈に妖怪ウォッチのアニメをオススメされて就寝。


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3日間まとめて書こうと思ったけど、案外長くなったので記事を分けます。

みんなで練習を

指にタコができた。なんか慣用句みたいだけど現実です。痛い。PCのキーボードを叩くたびに鈍く痛む。なぜタコができたのかというとベースを弾いていたから。なぜベースを弾いていたかというとドラマーの友達とスタジオで個人練習にいそしんでたから。そういえば"いそしむ"って単語、人生で初めて使ったかも。4月12日はいそしむ記念日にしよう。


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去年の夏に部活の友達からもう使わなくなった5弦ベースを1,000円という破格の値段で譲ってもらって、それを機にたまーにタラタラと家で弾いて楽しんでたんだけれども、いろいろな経緯があってとあるコピーバンドでベースを弾くことになってしまった。普段はキーボードだけど、まぁそこそこバンドの経験もあるしある程度音楽の素養もあるからなんとかなるかな~☆って考えてたけど甘かった。当たり前だけど普段使ってる鍵盤楽器と違ってポジションを押さえるだけじゃ音が出ない。弦を押さえる+弦をはじくの2アクションをしないといけないのがなかなかにしんどい。このフィーリングの違いに加えて、リズム楽器としての役割を果たすためにリズム感が要求されるのがつらい……。もともとリズム感がそんなにあるわけではないから、キーボードで演奏してるときはなぁなぁにしてきてしまった皺寄せが今になってきてる。いまさら猛烈に反省中。


でもこんなネガティブな感情を抱きつつもやっぱり楽しみはあるもので、ちょっとずつ弾けるようになってく実感がたまらなく気持ちいいのよ。E!E!E!キモちE!長年鍵盤楽器をやってたから、キーボードでバンドをやるときはやっぱり最初からある程度弾けるしそういう喜びは忘れかけてたんだけど、ベースは0に近い状態からスタートしてるので成長具合が露骨に分かって楽しい。前回できなかったことができるようになるっていうのはやっぱりカタルシスが凄い。「あ-楽器を始めたころってこんな感じに楽しんでたな~」っていう根源的な喜びを再発見できた。なんとなく惰性でバンドをやってしまってる感も最近あったから良い機会だったかもしれない。


それプラス、今回はバンドで練習してる曲とは別に僕のやりたい曲を友達にお願いしてやらせてもらった。

このベース弾きながらラップするってぇのをやりたかったのよ~~~~~~。もー高校のころからの夢といっても過言ではない。僕がヒップホップを好きになったキッカケの人。"ベースを手に入れることがあったら絶対これやりたい!"ってずっと思ってた。ベースもらって最初に練習したのもこの曲。友達にこれやりたい、って前もって伝えておいて「ゆるーく楽しくでいいからやろう~」って言ってたけど、今日初めて合わせる時はなかなか感慨深いものがあって全然ゆるい気持ちじゃなかった。めっちゃ楽しかった。バイブス高まった。


練習後はサイゼリヤで晩飯。ワイン1L+料理5品で1人あたり1,500円かからないの、どう考えてもヤバすぎる。上層部の人は計算ができないのかな……って不安になった。おーしまい。

Something / Anything?

ここ最近ちょっとしんどいことばっかり書いてたなぁ。その反動かTwitterでくだらないことを書きまくってて少し反省。もっとオキラク~なことも書いてブログを書くという行為の敷居を下げないと続かなくなってしまう気がするので、小ネタもちょくちょく書いていこう。そんなドラマチックなことなんて定期的にあるわけではないし、日常の中へともっとアンテナを張っていかないとね。


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実家に置いてた中高時代に集めたCDたちの中から織田哲郎のベストアルバムを引っ張り出して下宿先へと持ってきた。んーやっぱりこの人のメロディーの抜けの良さはすごい。ベタっちゃベタだけど清涼感バツグン。さすが職業作曲家。今でこそロックだとかヒップホップだとかファンクだとかエレクトロニカだとか聴いて悦に浸ってるけど、昔からいわゆるビーイング系のJ-POPを浴びて育ったのでやっぱりここらへんの音には抗えない……。やたらソウルフルなバックコーラスだとか、間奏で高らかに鳴り響くサックスソロだとか、キラキラしたシンセ音だとか、スタジアムかよっていうくらいリバーブの深いスネアの音だとか、今聴いても古臭さや恥ずかしさよりも先に反射的に「ふあぁ……」って腰抜けになってしまう。猫にマタタビ的な。

そんでビーイング系は圧倒的に夏のイメージが強い。

これなんかもう徹底的に青と白に染められた、日本人の最大公約数的イメージとしての"夏"。ポカリスウェットのCMタイアップを一時期とりまくってたからそのせいもあるかもしれないけど、こういう"夏"を作り上げるのがめちゃくちゃ上手い。僕が夏が好きなのもここに由来してるかも。ラムネでも飲みながら海へとドライブしたい。

そんなわけで暖かくなって春を感じれるようになった今日この頃、季節を先取りして夏のノスタルジアに浸っております。


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先月の末から歩いて10分のところにある近所のジムに通いはじめた。休学してる間は暇な時間も多いしずっと家に閉じこもっても気が滅入るからという理由が半分、筋肉をつけてカッコよくなりたいからっていう理由が半分。いや、やっぱり後者の理由がでかいかな。ついにゲイ文化に自ら迎合しにいった感があって抵抗はあったけど、春のキャンペーンで入会費0で月々の会費5,000円で入れるってことが分かったので射幸心を煽られて入会してしまいました。笑えよ……。

体育の授業や運動会がめちゃくちゃ嫌いだったから"僕は運動が嫌い"っていう固定観念が自分の中にあったけど、一人で好きなように身体を動かすのは結構楽しいもんだなって思える自分がいてびっくりしてる。好きな音楽をiPodで聴きながら汗を流すのは爽やかで実に良いです。このまま続けばいいな。ついでに筋肉ついてくれ。頼む。


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4年近く乗り回していた原付を廃車にしてしばらく経つ。先輩が大学時代7年間使っていたものを譲り受けて使い続けていたからほぼ10年選手。譲ってもらったときにはすでに左のミラーはグラグラ、手元のセルスイッチは壊れてキックスターターでしかエンジンがかからない、シートは破れている、ナンバープレートは曲がっている、とまぁ走れるゴミみたいな状態だったけれども、それでも貴重な移動手段としてがんばってくれていた。神戸は坂道が多いので自転車だと南北の移動が厳しいし、バスも好きなときに走っているとは限らないし路線が絶妙にかゆいところに手が届かない。そんな状況だったから走れるゴミだったとしても大切な相棒だったわけで、さすがに手放したら不便だしさびしいもんだね。買い物とか気軽に行きづらいし、毎回三宮行くのに交通費往復400円近くかかるのは地味な痛手。これから原付でブラブラするのにはサイコーの季節だっていうのに。くそー。また誰か譲ってくれないかな。なんちて。
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遺影 2016.3.19

父の話

父の一周忌が終わった。人が死んだ後の行事は無駄が多いな、と常々思う。いまだになんのためにやるのか、僕にはよくわかっていない。もっと成長すればわかるのだろうか。もっと成長したときっていつなのだろうか。


文章のネタのために身内を売るようで罪悪感があるのだけれども、今まで自分でも直視してこなかった事柄にきちんと目を向けるために父のことを一度文章にしてみようと思う。正直父に関することは目をそらしていたことが多かったから、正確に物事を覚えていないしはっきりと思い出せないことが多い。断片的なことばかりで読みにくい文章になる予感がしている。自分の嫌な部分もかなり目に付いてしまうだろうから気が滅入ると思う。このことを通して何を言いたいのかもよくわからない。けれども自分の中で存在しないもののように扱ってきた記憶にある種の整理をつけるため、文章にしてみようと思う。




父は外国航路の船長だった。1年のほとんどを船の上で過ごしてたまに2~3ヶ月ほど家に帰ってくるという生活だったので、昔から自分にとっては父が家にいない状態のほうが普通だった。物心がまだついていないときの僕を父が風呂にいれようとしたら、怖がって泣いて逃げたというエピソードがあるくらいである。成長してからもどこか父親、というよりは少し距離のある存在に感じていた。


父は"男らしさ"だとか"男なんだから"という言葉をよく口にしていた記憶がある。「父さんがいない間は男らしく母さんを守れよ」「男なんだからもっと身体を動かせ」だとかそういった文脈でよく使っていたはずだ。僕は小学生の早い段階から自分がゲイであるということを自覚していたので、どことなくこの言葉に嫌悪感を抱いていた。外で野球やサッカーをして走り回るといったいわゆる"男の子らしい"こととは無縁で、部屋にこもって読書やTVゲームに興じるような子供だった。なので父はよく「お前は女々しい」といった意味の言葉を口にしていた。もちろん侮蔑だとか叱咤だとかの文脈ではなく、どちらかというと子供が友達をからかうような軽いニュアンスだったはずだ。でもどうしてもそれを言われるたびに居心地の悪さを感じていたし、それをずっと引きずって父を好きになりきれなかったのかなとも思う。


唯一無条件で尊敬していた点は、父は幼いころからの船乗りの夢をかなえたということだ。小学校のころにはもう船乗りになるという夢を持っていたらしい。今でもその点では本当に尊敬している。


そんなわけで父との印象的な思い出がそこまで多くない。不思議なもので思い出そうとしても幼稚園のころ、夕暮れの散歩の時に肩車をしてもらった他愛ないワンシーンしか思い出せない。


僕が高校に上がって間もないころ、多分5月ごろだった。仕事先の上海で父が倒れて意識が無いという連絡が入った。兄と母がしばらく上海に行くことになった。パスポートを持っていなかったので、外務省か何かで特別な手続きをして入院先へかけつけた。僕は妹と祖母と家で待機することとなった。当時まだ僕は高校生、妹は中学生で家のことが頼りないということで、近所に住んでいる7つ上の従姉妹が泊まって家事をしてくれることになった。母と兄のいない生活が続いた。6月の僕の誕生日にも母と兄はいなかった。ちょっとわがままを言って従姉妹に宅配ピザをテイクアウトしてきてもらって晩飯に食ったのをよく覚えている。旅先からの連絡で父は脳溢血で倒れたのだということを教えてもらった。右半身が麻痺していて、言葉もしゃべれなくなっていると。いまいちよくわからなかった。ただ大変なことだな、という漠然とした感覚だけがあった。その後、祖母がどこか親戚に電話をかけていて「あの子(父)はもうダメだ」だとか「脳溢血だったらもう助からん」といったことを漏らしていた。それを聞いてしまった僕はキれて怒鳴って泣いてしまった。部屋に従姉妹が来て慰めてくれた。好きな音楽を聴いて必死に気を紛らせた。


夏ごろ、父たちが帰国してきた。家から車で30分ほど走らせたところにある病院に入院することとなった。そして去年の夏の休暇ぶりに父に会った。久しぶりに会う父はやせていて、目がうつろで知らない人みたいだった。みんなで「おかえり」とか口々に話しかけても言葉の変わりに吐息が漏れるだけだった。それを見て僕は猛烈に気分が悪くなってきた。消毒液のにおいがきつくて、とか適当な言い訳をしてトイレに逃げ込んだ。病室に戻って父を見たくなかった。僕の中でこのとき一度父は死んでいる。衝撃が大きすぎてそれからよく覚えていないけれど重苦しい空気に包まれてみんなで家に帰った。


それから父は病院でリハビリを続け家に戻って生活することになったのだが、いくつかの問題があった。こちらの言葉は通じるし文字も読めないのだが、父が読み書きができなくなっていたため意思の疎通が難しくなっていた。加えて感情のコントロールも難しくなっていたようで、ちょっとしたことですぐに怒鳴り散らしたりするようになっていた。少しでも意図が汲み取れなかったら母を言葉にならない言葉で怒鳴ったりものを投げたり。そして一番の問題は、母を認識できなくなっていたことだ。他の家族は分かる。僕が自分の息子であることは認識しているし、祖母が自分の母だということも分かるし、伯母のことも自分の姉だと分かっていた。けれども母だけをどうしても自分の妻だと認識できていなかった。兄の妻だと勘違いしていた。医者もなぜかはよくわからないといっていた。自分の妻の名前は覚えていて、目の前にいるのに分からない。目の前の女性が妻だという証拠を見せても納得しない。しまいにはキれて怒鳴ってしまう。悪い冗談みたいだ、と他人事のように僕は思っていた。そう思わないといろんなことがしんどすぎた。


祖母と父はもともと折り合いが悪かったのだが、これを機にさらに関係が悪くなっていった。実の親子であるにもかかわらず。うちは以前から土地の境界線の問題でどこかと長いこと揉めていた。父が元気だったころは"もうそんなことにこだわらずに終わらせよう"ということで、渋る祖母を押さえつけて丸く収まりかけてたらしいのだが、その問題を祖母がまたほじくりかえしてきた。当然父は激怒するが、言葉がしゃべれないのでなにも伝わらない。それを見て母が疲弊する。何も生まれない最悪の光景だった。僕の事なかれ主義はここが由来している気がする。


そのうち父に変な習慣ができてしまった。週に1度、自分で車を運転してあらゆる病院に行くのだ。さすがに父一人で運転させるわけには行かないので、助手席に母を乗せて。どうやら父の頭の中では"妻はどこかの病院に入院している"というストーリーができていたらしい。妻を探すために県内・県外問わずいたるところの病院へ行き、「(母の名前)という患者は入院していないか」と書いた紙を病院の人に渡して尋ねて回る。もちろんそんな人は入院していない。ずっと自分の隣にいるのだから当たり前だ。そして母が病院の人に経緯を説明して適当に話をあわせてもらう。この繰り返し。心底バカらしいと思った。


母を認識できなくなった父を見て、愛って何なんだろう、生きるってなんなんだろう、と猛烈に虚しくなった。僕はできるだけ父と接さないようにして過ごした。癇癪持ちの父と過ごすのは知らない人と過ごしているようで苦痛でしかなかった。いつしか父を憎むようになっていた。本気でいなくなればいいとさえ思っていた。何度も宙ぶらりんな殺意を抱いた。放課後も帰り道に古本屋で立ち読みしたりCDを探したりしてできる限り時間をつぶして家に帰り、家についても食事をしたらなるべくリビングで過ごさず自分の部屋でひたすら音楽に浸った。今思うと音楽にのめりこむきっかけはここだったのかもしれない。現実逃避としての道具として音楽を使っていた。大学進学も高校入学当初は地元の大学でいいかなと思っていたけれど、今すぐにでもここを離れたくて県外の大学を選んだ。


大学に進学した僕は陰鬱な高校時代を払拭するように享楽に耽った。極力長期休暇の間でも、何かと理由をつけて長期の帰省を避けて3~4日くらいで下宿先へ戻るようにしていた。ひたすら現実から逃げ続けていた。ずっとやりたかったバンド活動に没頭した。一種の父に対する復讐のような感情もあった。そのうち思ったように大学生活が上手くいかないこと焦り、家のことを全て家族に押し付けてることへの罪悪感が積もって、急かす感情に行動が追いつかなくなって緩やかに破綻していく生活が続いた。ぬるま湯のような蟻地獄の日々だった。


大学生活4年目くらいのころに帰省すると、父が胸のつかえを訴えだしていた。当初医者にかかったときは逆流性食道炎だということだった。「それだったら僕も似たような経験あるから食生活を正せば大丈夫じゃない?」と母に軽いノリで言っていた。後に癌だということがわかった。手術をすることになり僕も立ち会うことになった。家族で病院で長い時間やることもなく、ただ緊張感のある時間を共有した。手術は夜遅くに終わり、何かよく分からない器具につながれた父と面会した。母は「がんばったね。お疲れ様。」とねぎらいの言葉を眠っている父に投げかけていたけれども、僕は「そんなこと言っても意味は無いのに」と冷めた目で見ていた。医者に見せてもらった父から切り取った患部だけがやけにリアルだった。


それから1年後の冬、どうやら癌は他の部分にも転移していたようで父は入院することになった。父はみるみるうちにやせていった。倒れる前はランニングやダンベルで鍛えて立派な体格だったのに見る影もなくなっていた。ただ、父のいない家の中はどこか落ち着く空間となっていた。


そして去年の4月の中旬、朝に母から電話で父の意識がなくて危ないとの連絡があり、新幹線で病院へと向かった。僕が家を出てすぐに意識を取り戻して安定した状態になったらしかったのだが、念のため向かうことにした。案外父は平気そうで、普段通りの気難しそうな顔をした。二言三言適当に会話をして僕は関西へ戻った。その日は前々から予約していた不可思議/wonderboyのドキュメンタリー映画の大阪公演の日だったのだ。大阪へ向かうバスは宝塚トンネルの事故で渋滞していて、ついたのは開演時間ギリギリだった。映画は正直微妙な出来だな、と思った。なんとなく綺麗な言葉と綺麗な映像が流れてるだけで期待はずれだった。帰りの電車の中でTwitterを眺めていたら大学のゲイの友人と飲むことになった。ひとしきりうだうだしゃべった後、家で眠った。


翌朝電話がかかってきた。が、昨夜のアルコールの影響か眠くてどうしようもなくて無視した。電話はその後も2~3回かかってきた。ようやく目を覚ましたら母から留守電が入っていた。涙声で「父さんが死んだ」と録音されていた。電話に出なかったことを後悔した。同時に「ああ、終わったんだな」と心のどこかでホッとしていた。これで母は楽になるな、と。数日分の着替えとスーツを持って再び病院へ向かった。ちょうど父の亡骸が運ばれていくところだった。親戚がたくさん集まっていた。母は想像とは違って泣いていなかった。最初の電話で家を飛び出したとしても最期は看取れなかったということを教えてもらって幾分罪悪感は消えた。


家に戻って通夜と葬式の段取りを葬儀屋とした。あれこれ横から口出ししてくる親戚が鬱陶しかった。それから湯灌という作業を一緒にやった。足元から胸元へと水をかける、という作業だ。それから父に着せるための航海士時代の制服を用意した。制服を着た父は少し昔の頼れる父を思い出させた。同時に痩せてぶかぶかになってしまった制服が悲しかった。こんなことを書いたら父に怒られるかもしれないけれども、やせ細った顔は祖母に似ていてやはり親子なんだな、とも思った。


通夜には懐かしい地元の人がたくさん来た。知らない父の友人も来た。こんなに父は愛されていたのかと正直驚いてしまった。式の途中は泣いている母の手を握っていた。父が死んだことよりも母が泣いていることのほうが辛かった。通夜が終わって葬儀場の控え室に家族で泊まることになった。交代で誰かが遺体とついていなければいけないらしい。母と妹は家に着替えを取りに帰った。僕はいつの間にかうとうと眠ってしまった。目を覚ましたらまだ真夜中で、母だけが起きて父に話しかけているのが聞こえた。「お父さんは私を選んで本当によかった?」「今までありがとう」それが聞こえたとき僕は誰にも気づかれないように泣いた。母のために。母の経験した近くに愛する人がいるのに分かってもらえない苦しみを想像したら本当に辛くなったのだ。何度も罵倒され、傷つけられ続けていた母。それでもこんな言葉を出せる母を純粋に凄いと思った。


葬式の朝は葬儀場から出してもらったいなりずしと巻き寿司を食べた。正直朝から食うには多すぎる量だと思うからあそこの葬儀場はもっと見直すべきだと思う。式は思ったより平坦で、「あぁ僕は父のために泣けないのかな」とぼんやり考えていた。そして最後の父とのお別れの時間。参列者が一人ずつ棺おけに花を入れて名残を惜しむ時間がきた。場内では父の好きだった加山雄三の「君といつまでも」が流れた。

「幸せだなあ
 僕は君といる時が
 一番幸せなんだ
 僕は死ぬまで
 君を離さないぞ
 いいだろう?」

このフレーズが聞こえたとき僕は考えた。この世にいない架空の妻をずっと8年近く捜し続けて見つけられなかった父のことを。ずっと隣にいたのに気づけなかった父のことを。その孤独を。この歌とは違って父はともにいて一番幸せだと思える相手にとうとう会えなかった。そう考えたときに父が本当にかわいそうになって涙が止まらなくなってしまった。父が死んだことではなくて、父への同情で涙が止まらなかった。初めて父のために何かを思った。今までの父の癇癪もその不安と悲しさからくるものだったのかもしれない。ひたすら病院を巡っていたのも夫として、男としての責任を自分なりに果たしたかっただけなのかもしれない。少しだけ父を許そうと思った。


あれから1年経った今、実家に帰るたび仏壇に線香を供えて手を合わせる。頭の中では夕暮れと肩車の映像がいつも思い浮かぶ。父が向こうで無意味なドライブをもう続けていないことをただ願っている。